プロジェクトA | imagine ☆妄想してごらん☆

プロジェクトA

28歳に人生がひっくり変えるような思いがした時に、私を助けてくれたもの。

 

 

妹と姪と両親と弟と、友達。祖母。

 

 

こんなに沢山の人たちに助けられた。私はめっちゃ恵まれているのかもしれない。

きっと世の中には誰からも助けられなかった人が沢山居るだろう。

 

それまでの私の人生の中で、家族は「居てあたりまえ」「あたりまえに助けてくれる」

彼氏が出来てからは彼氏が一番の私の理解者で、唯一心を開けられる相手だと思っていたので家族から離れていた。

 

 

元夫と家庭内別居が始まった時に、家にはめったに帰ってこなくなり、帰ってきても私を避けるように自分の部屋にこもり、自分の物を自分の部屋に全部隠すようにしまいこんだ。

必要な要件は同じ家に居ながらも、携帯メールに送ってきていた。

 

「今は会社が大変な時だから仕方ない。これは病気のようなものだ。気にしないように、普段道理にふるまわらなくては」

 

と自分に言い聞かせていたが、毎日毎日息をするのも苦しくて、生きている心地がしなかった。

今思えば、私は東京に来てから、神戸からこっちに来ていた友達にも、仕事を手伝ってもらったりしているうちにトラブルで(私が悪かったのですが)絶縁状態になってしまい、後は仕事ばかりしていて新しくできた友達なんて一人もいなかった。

 

家族と友人は地元にいるのみだったのだ。

 

遠くに離れた家族や友人にはいつも幸せいっぱいの報告ばかりしていた。

心配をかけたくなかったから。

 

だからこんなに苦しくても誰にも話すこともできないでいた。

今考えると笑ってしまうくらい、元夫に拒絶されているだけで、自分の価値を全く見失っていた。

 

 

でもとうとう、夜中に外を彷徨い歩いている時に友人から電話がかかってきた。

「あれ?今、外?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

言葉にならなくて、とうとう電話越しにずっと泣いていた。

 

「今どこ!?外?とにかく明るい、人が居るところに入って!」

 

友人はびっくりしたと思う。ずっと幸せ一杯で忙しく暮らしている報告ばかりしていたから。

でも、もうしゃくりあげて言葉にならない状態だったけど、今どんなに苦しいか、悲しいか、伝えた。

友人は静かに聞いてくれた後に、

 

「なんで、今まで話さなかったの。辛い時に電話してこなかったの。」

 

と言った。

 

今でもあの時の自分を思い出すだけで、この文を書くだけで胸がつぶれそうになる。

冷静に考えたら、全然たいした事じゃないのかもしれない。

(只、夫の愛情を失っただけ)

 

でもその時の私には、もう生きている事ができない状態だった。

「死のう」と能動的に考える事なんてできない。

とにかく、もう、「息をする事も辛く」て、一秒、一秒が辛くて、生きていられない・・と感じていた。

重力があまりにも強く感じて、床の下に吸い込まれそうな感じがしていた。

私も軽度の鬱病になっていたのかもしれない。

 

 

そして妹にも電話で話した。「どこにも居場所が無い、ずっと眠れない。」というと、

「とにかく家においで。ママには言わなくていいから」

と言ってくれた。

妹は結婚して当時6ヶ月の娘がいた。

妹は実の姉だから良くても、その夫にしてみたら他人。仕事もしているのに、他人が居ついたらしんどいに違いない。

でも行くところが本当に無かったので、「これで置いて・・・・」と、一万円を妹に渡した。

 

妹は専業主婦だったので、平日の日中もずっと一緒に過ごしてくれた。

6ヶ月の姪と過ごす毎日は、やっぱりまだ悲しかったけれど、可愛さに幸せな気分を思い出させてくれた。

「私達にも子供が居たら、違っていただろうか」

とも思ったりもした。

ふと気が付くと、姪が泣きそうな顔をしている時があった。気が付くと、私が泣きそうな顔をしているのを見てまねをしているのだと気が付いた。

 

6ヶ月で、まだ言葉なんて全然話せない姪を、乳母車に乗せて買い物に行った時、妹を待っている間に姪が、ずっと何かを見て、声をあげて笑っていた。

何を見ているのかと見上げると、ただの宣伝の、「旗」だった。

その旗が風になびいてハタハタしているのを見るだけで、30分間くらい、姪はずっとゲラゲラ笑っていた。

本当に楽しそうに笑っていて、それを見ているだけで私も幸せになってきて、自分が沈みこんでいる状態がおかしく感じられた。

気が付いたら姪と一緒に私も笑っていた。

 

 

たまたま母から電話があった。

 

「そっちは今日は雨?」

「え・・・・いや・・・う、うん・・・・」

 

すぐ近くに居るとは居えずに母との電話を切ったけれど、思い直してかけなおした。

「今神戸にいる。」

 

 

実家に帰っても父も母も何も言わなかった。

只、夜寝る前に父親が、「いつまででもおってええねんぞ。ここはおまえの家なんやから。」

と言ってくれた。

口数少ない父親と、大人になってからはあまり会話もしていなかったのだけど、この言葉で私はやっと眠れるようになった。

その日はぐっすり眠った。

 

 

私には家族も友達もいる。

 

そう思うと、今度は東京に帰りたくなった。

帰ってから気が付いた。妹が手紙を荷物の中にいれていた。その中には私が渡していた1万円が入っていた。

 

「あの時はお金を渡さないと気がすまないと思ったから受け取ったけど、ともくん(妹の夫)と話したけど、家族で泊まるのにお金をもらうのはおかしいからかえします。また○○(姪)と遊びにいつでもきてね」

 

 

妹の家に居る時、姪は人見知りが激しいにもかかわらず、私の声が妹に似ているからか、すごくなついてくれた。

妹の夫も私がいても、平気で居眠りはするし、いつもどおりの変わらない生活をしていた。

姪をお風呂に入れたり、一緒に遊んでいる私が居る事を本当に喜んでいてくれている様子だった。

本当に暖かい家庭だった。

私はそれを見て反省していた。私は彼にこんなに暖かい家庭を作ってあげていなかった。

こんなに安らぐ家じゃなかった。いつも自分が寂しいとか、辛いとか、疲れたとか、自分の事ばかり主張していた。

そう気が付いた。

 

だから帰ろうと思えた。

もう一度やり直そうと思えた。

 

絶縁状態になっていた友人からも連絡をもらった。

私があやまらなくてはいけないのに彼女から連絡をくれた。

もう二度と私には会ってくれないと思っていたのに。



 

私は恵まれていた。

こんなに我侭に、自己主張ばかりして、いつも「私が、私は、」ばっかりで。

それなのに暖かい家族や友人に助けられた。

 

 

 

せめて、この人達が何か大変な思いをしている時に、私は何をおいても助ける事ができるような人になろうといつも思っている。

もっと余裕があれば、見ず知らずの困っている人達も、私がこうして助けられたように、助ける事ができたらいいなと思っている。

そしてその人がまたその思いを持って誰かを助けたら。そんな風に世の中に広まっていったら・・・・

 

こんな私でも世の中は少し変えられるかもしれない、と思って。