ぶつかり合うという事
私の育った環境は、「何でも思った事を相手に指摘する」というものでした。
親しい人程、本音でぶつかりあっていました。
彼氏や家族には特につよくぶつかっていました。
私と似た性格の母親とは本当によく激しい喧嘩をしました。
その分、気が会う時は本当に仲のいい親子でした。
家族はそういうものだと思っていました。
元夫と結婚して暮らし始めた時も、
「私達は家族なんだから、思った事はなんでも言わないといけない。」
といつも思っていました。
言ってあげることが相手の為にもなるし、言わないと自分が心の中でもやもやする、という2つの理由からでした。
でも全く違う文化で育った、プライドの高い元夫にとってそれは苦しい事でした。
よく彼に言われていたのが、
「ucaとの喧嘩は、相手がぼろぼろになって血を流すまで絶対にやめない。(言葉の)殴り合いの喧嘩なんかしたくない」
彼は本当にプライドの高い人でした。(良い意味でも悪い意味でも)
彼の両親も彼のことは一目置いている様子で、気高いライオン、という印象でした。
友人からもいつも一目置かれていて、みんなのボス的存在でした。
そんな彼を言葉でこきおろしていたのは私だけでした。
でも、だからこそ、彼が「裸の王様」にならないように、それが私の使命だ・・・!と思っていた時もありました。
プライドが高く、誰よりも毅然としている事がすごく大切な事だということ。
それ故に彼は自分のアイデンティティー、存在価値を見出しているのだということ。
それに気がついたのは随分経ってからでした。
何度も何度もぶつかって、その度に彼から「こんなのは嫌だ」と拒絶されて、無理やり話し合おうとして・・。
彼が家に帰ってこなくなるまで気が付きませんでした。
ようやく気が付いてからは随分私も変わりました。
言葉の重みをしりました。
言葉は使い方によって凶器になることを知りました。
一時はそれ(私がようやく気が付いた事)で、私達の仲は回復したのですが、また数年後、彼が仕事でうまく行かなくなり、鬱状態になった時に、数年前に私に言われた言葉がトラウマになってあらわれてきました。
数年前に私が言った言葉が彼をまだ苦しめていた。
そしてその事実が、私を苦しめました。
「どうしたら、償えるのだろう・・・」と、必死で考えましたが結論は
「償えない、とりかえしのつかない事を私はしてしまった」
という事を認める事だけでした。
十字架を背負って生きていくしかないんだなぁと思っていました。
(大げさな表現ですけど)
それから益々、私は本当に言葉に対して慎重になりました。
恐くて、人に何も言えなくなっていた時期もありました。
自分の言葉によって誰かを傷つけてしまうのが恐かった。
それも数年経ってようやく自分の気持ちを話せる様になりました。
(家族や友人、今の夫のお陰です)
でも、かならず相手の気持ちをよーく考える様にしています。
今の相手の気持ち
私の言葉によって相手がどう感じるだろうか
あたりまえのことかもしれません。
みんな普通にそうしていることを、私は28歳になるまで知らなかっただけでしょう。
それに、それでもやっぱり傷つけてしまう事はあるし、上手く伝えられなくて悩む事は沢山あります。
でも勇気を出して、言葉にした時、それが相手に届いた時、
本当に嬉しくて嬉しくて。
だから私はこれからも言葉を大事に使っていきたいと思っています。
傷つけないように
臆病になりすぎないように
長々と書いてすみません。
時々忘れそうになるので自分の戒めで書いてしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。・゚・(ノД‘)・゚・