imagine ☆妄想してごらん☆ -8ページ目
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私は東京へ来て最初の5年ほどは、仕事ばかりで友人の一人もいませんでした。(自営業している時です)
神戸の友人が東京に住んでいる、という事はありましたが東京で新しくできた友人はいなかったのです。 今思えば、私は自分の殻に閉じこもってしまって人間不信の様になっていたのだと思います。
仕事を手伝ってくれていた友人でさへ、仕事の事で色々溝ができ、失っていってしまっていました。


元夫を尊敬、崇拝していましたので、彼だけを信じて、彼に評価される為に必死であったのだと思います。 失恋して最初は、彼に「いらない」と思われてしまった自分はもう「いらない」存在なんだ・・・と落ち込み、生きる気力も無いような日々が続きましたが、そういう時に神戸の家族や友人の愛情のお陰で立ち直る事ができました。

私は彼らの為に何一つしてあげなかったのにどうしてこんなに愛情を持って接してくれるのだろう・・??と、その後思いました。きっと世の中に失恋して落込んでいる人は沢山いると思うのですが、周りに助けてもらえない人も沢山いると思うのです。私は本当にラッキーだといつも思います。 そうしているうちに、周りで苦しんでいる人を見ると、あの時自分が助けてもらったように苦しみから早く立ち直って欲しいと自然に思うようになりました。

そういう「愛の連鎖」のようなものが世の中にあふれるといいですね。
時々考えることがあります。そのために私ができる事があるなら私はそれをしたいです。

今の世の中は「憎しみの連鎖」も沢山あります。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞の様に、国境も宗教も越えて人々が愛し会えたら戦争はなくなるのに。
ニュースを見るたびにその日が永遠に来ないのじゃないかと思ってしまうようなニュースばかりの世の中ですね。

でもかく言う私の中にも「憎しみ」のような感情があるのも事実です。人の不幸を喜ぶような恐ろしい感情が自分の中にあるのは恐い事ですが、実際にはあるのです。これは一生かけてこの感情を無くせるようにするのが私の目標でもあります。

人を憎むという事は自分も苦しくなるのに。 それでも今は大好きな友人が沢山できました。大きく私が変わったのは

・自分を隠さない、飾らないでありのままを見せる
・無理をしない
・相手に興味をもつようになった
・自分が相手にしてあげられる事は何か考えるようになった

などでしょうか。


あたりまえのような事ですが、これら全ては以前の私には全くないものでした。だから昔からの友人には本当に頭があがりません。こんなひどい私の友人でいてくれたのですもの・・・。

自分が変われば世の中もまるでがらりと変わったように感じました。
革命です。自分が生まれ変われたような経験をする事ができて本当に良かったと思っています。

私が生まれてきてから死んでしまう間にできることはとても限られていると思うのですが、もし大きく変える事ができるのであればいいのだけど、できなくてもそれでも、せめてその間に出会った家族や友人達にほんの少しでも「出会えて良かった」と思ってもらえるだけでもその人生はとても意味があったんじゃないかと思っています。

時間の使い方

子供の時、夏休みという時間をどう過ごしていたかというのはその人の性質をとてもよく表しているのかもしれないと最近思います。

行動的でいつも何か新しい事をはじめる人は、夏休みも計画的に行動していたり宿題もあっという間にやっていたりする。

私はというと・・・・。
ただ、ぼーーーーーーっと、過ごしていました。

こうして今休憩中ですが、周りの人が心配してくれるほど何もしていないというのに、本人は至って普通に暮らしています。
「暇だーー」「退屈ーー」なんて思う事は無いのです。

なんだか時間の使い方がもったいないと自分でも思う時はあるのですが、忙しい日々が続けば続く程、こういう「何にもしてないをしているんだよ」みたいな時間が必要になる様にも思います。

あんまり長くなると周りにあきれられちゃいそうなのでそろそろ動き出してほしいのだけど・・・。


PMS

私がこの言葉(症状)を知ったのは27歳頃の事でしたが、なんとなく自分が生理の10日前から情緒不安定になり、家族と喧嘩をしてしまったり、仕事のミスが多くなったりするのは気が付いていました。

あるときたまたま薬局でポスターを見て、この言葉を知り、インターネットで調べて正に自分がこの症状に当てはまる事を自覚しました。

その後も同世代の出産をした事がない沢山の女の人に同様の、もしくはなんらかの症状があることを知りました。

それが生理現象であると知った時は、「なんだ、そうだったのか!」と、ほっとしたような、他にも同じ症状に苦しんでいる人が沢山いることに、自分一人じゃなく、仲間がいる事になんだか安心したような気もしていましたが、あたりちらされる家族(や、会社の仲間)の心を傷つける事には変りありません。

あるとき元夫にこう言い放たれました。
「笑っている君は好きだけど泣いている君は好きじゃない。月の3/1は泣いていて、その後自分の気持ちが回復するのに3/1かかるから月の3/1しかしあわせじゃない」

私は「これは私のせいではなくて病気のような物なのにひどい!」と、内心嘆きましたが、でも相手にとってはやはり理解できないですよね。ましてや男ですし。
相手に余裕があるときは受け入れてくれていても、余裕が無い時は駄目です。
それのタイミングが重なった時には・・・!!

実際私達が離婚したのにPMSは大きな原因だったかもしれません。
(それだけでは無いですけど)
でもそれも含めて私ですから、それを含めて受け入れてくれる奇特な人でなくてはやっていけません。

相手に「受け入れて!」と強制する事はできませんものね。
その現実を受け入れるのに数年かかりましたが・・・!とても苦しかったです。

今ではその奇特なパートナーを幸いにも見つけて穏やかに暮らしています。
相手が受けれてくれると不思議と症状も軽くなり、私も「悪かったな・・」と反省するようになりました。
毎月PMSを恐れ慄き、心療内科まで通っていた私はこうしてPMSと向き合って克服しつつあるところです。
日ごろのストレスも無いと症状もずっと少ないみたいです。
当り散らす要因が無いからかな??

同様にPMSで苦しむ皆さんとその家族(被害者)が早くHAPPYになりますように。

大人のピアノ

私は子供の頃、エレクトーンを習っていました。
結構大人になってもずっと続けていたのですが、ある時に限界を感じてやめてしまいました。
限界の理由は、

・新機種をどんどん買わないとついていけない
・弾きたい曲がほとんどない
・MIDIの打ち込みが多く、プログラミングまかせで演奏の意味がほとんどない

という事です。

ピアノなどだと、名曲がそれはもう昔の天才から現代の天才まで沢山の楽曲がありますが、エレクトーンになると、進めば進むほど、ほんの一部の人たちが作った曲だけになってくるのです。
そして新機種を2年ごとに新調しないとついていけなくなる。しかも楽器が高い!(100万ぐらいはするのに数年で買い換えないといけない (TдT))

という訳で、高校生ぐらいのときからピアノも同時に習いはじめました。

今ではどちらも習っておりませんが、ピアノは独学で練習しています。
今練習中なのは

・ジムノペティ (サティ)
・月の光 (ドビュッシー)
・ノクターン (ショパン)

です。これらは一生かけて練習していきたいと思っています。
ピアノって、簡単でも良い曲が沢山ありますよね。
特に疲れた時に無心で美しいメロティーを弾いていると、とても心が落ち着きます。

子供の頃習っていたという人は多いと思うのですが、今も続けてる人となるとぐっと少ないですよね。
あと、子供の頃はやっていなかったけど、大人になってから習い始めた、っていう人も周りに何人かいます。(私もそうですね)

仕事を辞めた時には、もっと真剣に取組んで、大人になってからはじめたい人へのピアノ教室なんてできないかしら、と考えたりもしていましたが、まだまだ到底無理そうです。
でもその気持ちはとてもよくわかるし、弾くのは易しくてもとても良い曲が沢山あるから、それを教えたい!という気持ちはあるんですけどね。

っていうか、自分が習えよ!!!!


_| ̄|○






神戸

私の出身地は兵庫県神戸市です。
生まれ育ち、25歳までずっとそこにいましたが、本当に住みやすいいいところで、一生ここに暮らすものと信じきっていました。

色々あり東京に出てきて今は千葉に住んでいますが、たまに実家に帰る度に神戸がとても良い街で好きだと実感します。
考えてみれば、ずっとそこに住んでいたらその街のいいところって見えにくいはずですよね。でも分かってたなー。

神戸と聞くと大抵の人の印象は

・地震が恐かったのでは
・異人館などロマンチックな観光地
・JJ読者モデルみたいなお嬢様が沢山いる

というところだと思うのですが、実際そんなかんじです。。
お嬢様は一部ですけどね。(私は一般庶民です)

私の中で「良い町だなあ」と思う主な理由は

・家族や友達がいる
・空気が良い
・人々がおっとりしてる
・街と自然の調和がとれていて子供が育つのやお年寄りが生活しやすい
・こじんまりとした街なので落ち着く

というところでしょうか。あれ、なんか「フツー」な理由ですね。

友人が最近マンションや家を建てはじめる年頃なので、新しいおうちを見せてもらう度に「いいなー」と、うらやましくなってしまいます。
でも仕事が厳しいですね。

とくに夫はまだ日本語がカタコトの状態なので中々難しいかもしれません。
東京も千葉もとても気に入っているのですが、年をとった時に住んでいたいかというと、まるで生活の想像がつきません。

神戸でビジネスを創めて順調な友人もいますし、祖父母もずっと小さな町工場をやっていますがなんとか順調です。
私もビジネスをはじめるなら神戸でできることがいいなーと漠然と考えていますが、まだビジョンは全然見えていません。





ベンチャー企業

私のでたらめな生活ぶりを知っている人にはびっくりされるのですが、私はかのITバブル時代にベンチャーの会社の取締役をやっていました。
とはいえ、元夫が起業してそれを手伝う、という形ではありましたが一応取締役という肩書き(だけ)はあり、そうのうち、投資もうけ、(そういえばマイクロソフトの投資も受けた)従業員35人の会社にまでなりました。
結局それは今他の会社に吸収合併された形になるのですが、それまでの私の人生の中で、会社をはじめるなんて事は夢にも思っていませんでした。

大きな会社の末端の社員でしかなかった私が、いきなり上の立場になって色々やろうとしてうまくできるはずはなかったのですが、うまくやろうととても努力しました。
失敗して、挫折しそうになって、頑張って・・・今もう一度やろうかとはとても思えないほど大変な思いをしてきましたが、でもその経験があったからこそ今わかったことや、自分がいかに経営者としてふさわしくないか、上に立つ人間では無いのかわかりました。

それがわかっただけでも視野は確実に広くなった気がするし、得した気分です。

地元の神戸にいたときはそういう人は周りにあまりいなかったのですが、東京にくるとそういう人が沢山いるのでおどろきました。

私のそういう話をすると、目を輝かせて「私もいつか・・!」と言われる度に「すごいなー」と感心してしまいます。(というか、そんな私の姿に若い人の夢を幻滅させてしまっているでしょうが・・)





ダーリンはカナダ人

「ダーリンは外国人」というマンガをご存知でしょうか。
私の夫は香港系カナダ人なのですが、このマンガを見て大いに受けました。
同じような経験を日常的に良くします。

私は毎日腹筋背筋を30回ずつ行うのを日課にしていたのですが、最近ずーっとサボリ気味。それを夫に手伝ったもらうために「日本語でなにかの単位(1匹、2匹、や1回、2回、など)で数えて」とお願いすると、「ひき」で数え始めた。
「いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、、」

お、順調、順調。


「、、、はちぴき」


ここで笑ってしまってトレーニングは中断してしまった。
ニホンゴ、ムズカシーネー。

負け犬以下?

あまり聞かなくなってきたこの言葉ですが、どうでもいいことだと思いつつも、自分が負け犬なのか、負け犬じゃないのかはっきりしないなー・・と思っていた。
25歳で一度結婚したものの子供の居ないまま離婚、30代に突入していたから。

本屋さんである本のタイトルを見て愕然とする。


「負け犬以下」 (離婚歴のある女)



負け犬以下って・・・。
なんかちょっと落ち込みますね・・・。

旅行中

私は子供の頃から夢らしい夢を持った事が無かった。
特に無気力な子供であった様には思わないし、それなりに遊んだり部活動にいそしんだり、目先の目標には頑張ったりした時もあったのだけど。

よく小学生の文集なんかで将来の夢を書く事になると、いつも困っていた。
「将来は幼稚園の先生になりたい」「スチュワーデスになりたい」とみんなすらすらと書いているけど私は・・・・特に・・・・何も無い!

でも書かなくてはならないので当時習っていた「エレクトーンの先生」と適当に書いていた。
もちろんエレクトーンの先生になんてなりたくなかったのだけど、「普通のOL」と書いている人はいなかったのでささやかな嘘。

いざ東京にやってきて再度自覚した。
周りにはなんらかの夢を持っている人ばかりだったから、何も夢の無い自分がなんだか悪い事をしているような、ひどく怠け者のような、そんな居心地の悪い思いがした。

それから8年・・・色々試してはみましたが今ださまよい中。
でも旅は目的地が無くてもできるのかも?と最近思いはじめたりしてます。

はじめました

目的も対象も全く設定のないままはじめました。
自分の心の棚卸ができれば・・・なんて思っています。
どこかで共鳴してくれる人がいたりしたら嬉しいな。
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