imagine ☆妄想してごらん☆ -4ページ目

からまわり

先日、友人(jazzトランペット吹き)が、某ロイヤルな大学のイベントで演奏するというので行って来ました。

 

jazzはあまり聞かないのですが、青空の中で聞いているとなんだか違和感がありました。

眩しくて目も開けていられない・・。

やっぱりこれは暗いバーとかで聞くのがあってる音楽だなあと思いました。

 

それはさておき、演奏が終わった後に、お天気もよかったしキャンパスは(さすが)素晴らしく、気持ちがよかったのでブラブラと様子を見て歩いていました。

 

すると「利き酒」のブース発見!

私はお酒は飲めないのですが、友人(カナダ人)が喜んでいたので行ってみると・・・。

 

そこはどうやらOB達でにぎわって居た様で、友人が白人で目立っていたのですぐにおじい様達がわらわらと寄って来た。

 

「あなた達は卒業生ですか?」

「いえ・・・。さっき友人の演奏を聞きに来ました。」

 

・・と、言っているうちに、すっかり囲みこまれて席を立つに立てない状況に。

 

聞いてもいないのに、「彼は航空会社の社長。私はここ(ロイヤルな学院)の監事。彼は政治家・・」

と話しをはじめた。

うわ~、つまらない・・!

 

こういう「私はえらいんだぞー」という人はひいちゃいます。

こっちの話を聞くんじゃなくて只、過去の自慢ばっかりする人達です。

(いるでしょ?)

でもその友人(カナダ人)は、「そうなんですか!すごいですねー」と調子を合わせていた。

いや、そういうのが世の中を上手に渡るには必要かもしれない。・・けど、私はイヤなのよ~。

 

「早く出ようぜ」オーラを出していた時に、そのおじいちゃんの一人(政治家)が、「いや、カナダ人でよかった。中国人みたいにあんな馬鹿な事をしてはいかん」

とかのたまった。

 

中国人ではないけど香港系のカナダ人である夫が横にいたので私は、その言葉に彼が気を悪くしていないかチラ見たけど、基本的に何でも悩んだりしない彼は全然ニコニコ聞き流していた。(いや、関係無いといえば無いな・・)

 

確かに上海や各地で(vancouverでも反日デモ、あったそうです)起こっている反日デモで、物を破壊したり、している事は許しがたい。それに、それをあおる教育をしていたとしたら嫌だ。でも中国語が読めないから教科書にどんな風に書いているのか自分では確認できない。日本側からのマスコミを通しての情報しかしらない。

 

卓球の愛ちゃんみたいに「喧嘩をしたらその後仲良くなるんじゃないですか」

という感じでこの憎しみの連鎖が止まればいいんですけどね。

 

でも「中国人は馬鹿」といったおじいちゃんが政治家なら、こんな連鎖は永遠に終わらないんじゃないの?と思って腹がたった。

 

とにかくなんだか腹が立って、一人イライラしていた私でした。!(゚Д゚#)

あれ?でも書いているとそんなにイライラする程の事かな。

なんでだろう。

 

PMS?(゚Д゚;)? ・・・この時期、いつもむやみに人と衝突しちゃいます・・。(TдT)

 

騒音トラブル

奈良の、”引越し、引越し” おばさんが騒がれていましたが・・・・。

 

実は似たような被害を受けた事があります。

しかも理由は”外人だから”

 

今の夫と結婚して、住み始めた5階建てのマンションの最上階に住んで居た時です。

私より数ヶ月先に住んでいた夫は、ベルの呼び出し音が鳴ってもインターフォンに出ようとしません。

 

「日本では、ちゃんとご近所の人にも挨拶をして、階段ですれ違ってもちゃんと大きな声で堂々と挨拶しないとダメだよ」

と言っていた私は、見本をみせるべく、

 

インターホンで

 

「下のもんやけど」 

 

といわれると、

「はーい」と、満面の笑みでドアを開けた。

見ると、中肉中背の超不機嫌な男の顔。

 

 「下のもんやけど。あんなあ、音がガンガンうるさいねん。」

 

 

「音・・???今ですか?私達、ずっと座って話をしていただけなので音は立ててないと思います。どこか他の所じゃないでしょうか。」

 

 

<sound volume =80 デシベル>「なにいっとんじゃおりゃぁぁぁ!!!!!!!」

「おまえのところしかありえへんやろう!

外人やから何してもいいと思うなよ!!!」

</sound>

 

 

 

なんなんだあれは!?

とあっけにとられている間に彼は去っていった。

honeyがドアを開けない理由がわかった。

こうして階下の住人が時々どなりこんでくるのだ。

 

でも明らかに家ではない。テレビもつけていなかったし、その時は音楽もかけていなかったし、マンション暮らしに慣れている私は、音にはとても気を使って生活をしてきた習慣ができていた。

 

しかしそれ以来、ひどい時は夜中の2時、4時、6時、と明け方まで呼び出しベルを鳴らされるしまつ。

どんなに丁寧に、家が立てている音でないか、私達も寝ていたので音を立てられるわけが無いと言ってもかれは「外国人の言う事なんか信用できない」と夜中に大声で叫びまくるだけだった。

 

眠れない日々が続いた。

とうとう、ある日、インターフォンの呼び出し音を無視していたところ、ドアを蹴飛ばす音が何度もして、そのうち何か堅いものでドアを叩く音がしたので、後で見てみるとドアを何かで傷をつけられていたので警察を呼んだ。

 

警察官と話しているのを立ち聞きしていると、警官の前ではおとなしい、まっとうな住人のふりをしだした。

 

「夜中中シャワーをじゃあじゃあと使っている」

「通常の日常の騒音ならガマンできるけど、故意に立ててるとしか思えない音を立てる」

「睡眠不足でふらふらで仕事も手につかない」

 

ということを逆に警官に訴え始めた。

 

くやしかった。

日頃から、「外国人だから」・・って言われないように、人一倍、日本のマナーには気をつけているつもりだ。

(私は日本人ですけど)

仕事で遅くなったらシャワーは朝までガマンしてたし、トイレを流すのも気をつけていた。

もちろん歩く時も音を立てないように。

そんなに音が響く構造でもなかった。私達は最上階だったけども、時々どこかの音が聞こえる事があってもわずかなもので、しかしそれは上から聞こえてくるようだった。

(屋上で作業をしていた訳ではないので、他の音も階上からの音だ、と彼が思い込む理由もわかっていましたが)

 

警官は結局何もできない事がわかった。

物理的に何かを壊したと証明できるものがあるか、暴行を受けてない限り、彼の身柄を拘束する事はできないのだそうだ。

実際、ドアを傷つけられた事も、証拠が無いとの事。(ビデオは撮ってなかったんですよ)

 

 

「じゃあ私達はどうしたらいいのですか?彼は「殺すぞ!」って言ってます。ちゃんと録音しています。これは脅迫にならないのですか?」

と聞いても、その録音を聞こうともしなかった。

 (脅迫がひどかったので、被害は全部日時をメモして、インターフォンの声を録音していた) 

 

「大家さんに相談してください。」

 

「相談しました。でも警察に相談してくださいと言われました」

 

「警察は今の状態では何もできないんですよ・・・。一番良いのは引越しする事ですね。」

 

え!?日本の警察ってこんなのだったのか!!

と、今更衝撃を受けた。

悔しくって、恐くって、体の震えが止まらなかった。

 

その後何度もその争いは続いて、とうとう私が彼に面と向かって強く「家じゃないって言ってるでしょう!」

といったら彼がものすごい形相で私につっかかってきた。

ものすごく恐かったけど、本当は足が震えていたけど、食い下がらずに、説明をしようとした。

そしたら・・・

いつも温厚で穏やかで平和主義の夫が、信じられない位恐い顔をして、階下の住人(極楽とんぼの山本に似てるんですよそれが・・・。切れたところとかが・・。以後、彼がTVに出ると気分が悪い!)の胸ぐらをつかんだ。

相手も、普段インターフォンにも出ない夫が恐い顔をしたのでちょっとびっくりして

「なんやおまえ!今までと態度ちゃうやんけ!!」

と、さらにヒートアップしてきたので、ナイフでも出てきたらやばい!と思って慌てて夫を引っ張って家に戻った。

 

(どうして夫じゃなくて私が対応していたかというと、彼は日本語が・・・余り話せないし、階下の住人の意味不明の怒鳴り声、しかも関西弁ではとても太刀打ちできなかったから私が率先して対応してたんです。)

 

でも、この事は私にとって良い思い出になりました。

アフリカでライオンに襲われても彼は助けてくれる人だという信頼感が・・・。

おとなしい彼の男らしい一面を見れてよかったです。(ノ´∀`*)

 

脱線しましたが・・・。

 

自転車の虫ピンも私と彼のだけ抜かれていました。証拠は無いけど、他に沢山とめてある自転車たちの仲で、離れて置いている私の自転車と彼の自転車だけ、前輪も後輪も両方やられていました。

名前を書いているわけではないので、どうして彼が私達の自転車を知っているのかはわかりませんし、証拠はありませんが、身の危険をひしひしと感じました。

 

嫌がらせはどんどん続き、何度大家に相談しても110番しても、解決の糸口は見えなかったので、悔しいけれどもこのまま不愉快なまま暮らすのも、裁判を起こしてもめるのも時間の無駄だと思ったので引越しする事にした。

 

 

そう、前住んでいるところには郵便受けにも表札にもどうどうと名前を出していたのですが・・・。

今住んでいるところには名前を出していません。

 

幸い、今住んでいる所はご近所の方も穏やかで、引越し後に挨拶に伺った時にも彼が外国人であることは説明しましたし、「娘もアメリカ人と結婚したのよ」なんて笑ってくれる人もいたのですが・・・。

やっぱり少し恐いので出していません。

 

へなちょこですね。。

 

もうちょっと経ったらちゃんとどうどうと出せるかもしれませんが、しばらくはこのまんまです。

 

 

しかし・・・あの人(階下の住民)は、関西弁だったんですよ・・。

同じ関西人として悲しいです・・。(TдT)

 

ある日の午後の会話

登場人物

 

王さん(仮名):♂中国人。日本語はペラペラ。

ブライアン(仮名):♂アイルランド人。日本に来たばかりで日本語に興味しんしん。

uca:♀二人からすこし離れた場所で盗み聞き・・ |д゜)

*****クリスマス前のとあるオフィスで・・・******

 

王:クリスマスは国に帰るの?

 

ブライアン:クリスマスは仕事があるから今年は帰らないんだ

 

王:クリスマスに仕事? (ここ日本語で)”カワイソウ・・”

 

ブライアン: カワイソウ? えーっと・・・(”かわいそう”、の日本語の意味がわからず困っている)

 

王:えーっと・・・・(ブライアンに説明するからにはちゃんと教えてあげなきゃ、と、PCの辞書でカタカタと調べている)

 

王:あ、  わかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王: ”cute♪”(かわいい)・・・・・・。?????? 

 

ブライアン:  ・・・・・・ ((((;゚Д゚)))????????????

 

 

ここまで盗み聞きをしていた私はコソーリ大爆笑。

かわいそう”を”かわいい”で調べてしまったんですね。

 

いきなり”cute”って告白されたブライアンはかなり焦っている様子でしたが、私はそのまま知らん顔をして会社中にその会話をメールで密告してしまいました。

(あんまりおもしろかったので)

もちろん二人にその間違いの説明もしておりません・・・ψψ(´∀`)ψ

 

日本語ペラペラだと思っていた王さんもおちゃめな一面があることを知ったある日の午後でした・・・。

 

 

 

愛車

こちらは(東京)関東平野というだけあって、平らですね。。。

地元では坂が多かったのであまり自転車を利用する人はいませんでした。

なのでどこまでも行けるのがうれしくて、こっちにきてからは、都内のほとんどの場所は、時間があれば自転車で行っちゃいます。

(愛車って、自転車のことです)

 

通勤だって、道が危なくなければかなりの距離でも自転車通勤していました。

 

平らな場所を自転車で走るのは、ほとんどエネルギーを使わない気がします。

だから「ダイエットの為に、私も自転車で来ようかな・・」

と言う人にはお薦めしていません。

むしろ電車などでの移動の方が、階段を上ったり、歩いたりして体力を使うと思っています。

 

満員電車が大嫌いなのが、ちょっと無理そうな距離でも自転車を選んでしまう大きな理由です。

見ず知らずの他人と密着しなくてはならない時は、幽体離脱して意識を遠くへやっています。

たぶん満員電車が好きな人なんていないと思いますけど。

(痴漢ぐらいでしょう)

 

いつも颯爽と自転車にのって移動です。

 

愛車は自慢の・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

bike

 

ママチャリです。(特注特大カゴ付き)

 

 

 

 最近すごくかっこいい自転車が沢山ありますけど、あれじゃないです。

お買い物にカゴはかかせません・・・。

前傾姿勢も保てません!!

 

(TдT)

 

 

uca サーベイ

私の長年における調査の集大成をここに発表いたします

 

○関西と関東の人の生態系の違い・・・(uca調べ 2005年)

 

 

西

・東に対する対抗心がある(だから関西弁をやめない)

・エスカレーターでは右が停止、左を急ぐ人にあける

・最後に「オチ」の無い話はしない

・人懐っこく見えて、実は中々心は開かない

 

・なんだかんだと地方出身者が多いので、地方出身者には優しい

・野心(夢)を持っているが多い

・どこの出身者であれ、標準語で喋ろうとする

・「オチ」の無い話が多い

・東京23区出身者は子供の頃、虫で遊んでいない人が多い

 

 

どうでしょう。

ワールドワイドにしてみましょう。

 

○日本人から見たカナダ人の特徴 ・・・・・(uca調べ 有効サンプル数 20人位 2005年)

 

・楽観主義者が多い!

・異文化に対しておおらか(必死で理解しようともしないし拒絶もしない)

・日光が好き

・全てにおいて、よくも悪くも「適当」

 

○日本人から見たアイルランド人・・・・(uca調べ 有効サンプル数 15人 2005年)

 

・とにかくお酒を飲む!

・友人とつるむ事が多い(もちろんアイリッシュパブで・・)

・子沢山(10人兄弟とか普通)

・歌がうまい!

・背が低い人と高い人が両極端

・PCを良く落として物理的に破壊する。(゚Д゚#)

 

○日本人から見たインド人  (uca調べ 有効サンプル数 3人 2005年)

 

・理屈っぽい

・ラマダン中は仕事が手につかない様子・・・

・PCのシステムが良くおかしくなる(なんで!?)

 

○イギリス人 (uca調べ 有効サンプル数 2人 2005年)

 

・言葉遣いは丁寧(いや、そういう言葉なだけ?私、イギリス英語、聞き取れないんです・・_| ̄|○)

・でも頼み事はずうずうしい

・紳士なイメージ

 

 ○日本在住イラン人 (uca調べ 有効サンプル数 2人 2005年)

 

・ギリシャ人であると詐称する!

・豚肉も食べちゃう

・ラマダン中も食べちゃう

・ お酒も飲んでる!

 

 ○オランダ人 (uca調べ 有効サンプル数 2人 2005年)

 

・香水がえげつない

・イケ面が多い(たまたま??)

・オランダ語、難しすぎ(←ただの感想ですね・・)

 

○中国人 (uca調べ 有効サンプル数 5人 2005年)

 

・鼻毛が伸びている人が多い(男性)

・愛想がよくない(いや、悪い)

・勤勉で日本語が読書きできる人が多い。(日本で就業している人)

・よーーく観察していると、実はおちゃめ

 

 ○韓国人 (uca調べ 有効サンプル数 6人 2005年)

 

・女性は気が強い

・やっぱり普通に整形しちゃってる女性が多い

・黒髪をさらさらに伸ばしている(女性)

・勤勉

 ・声が大きい(怒ってるみたいに聞こえる)

 

 

少ないサンプル数から非常に偏った偏見と独断による調査報告でした!

(あくまでも愛情もっての調査報告ですが、もしお気を悪くされた方、反論がある方はコメントにご指摘くださいね。)

 

 

宗教と占い

私は無宗教です。

占いも信じません。

 

でも宗教を持っている人を非難するつもりもありません。

 

私自身、無宗教といいながらも、時々キリスト教の教えだったり、仏教の教えだったりに感銘を受けたりする時もあります。宗教とは関係無く、いい言葉は受け入れる事はします。でも信者にはなりません。

 

 

宗教に関わる問題は、宗教を利用して人々を操ろうとしている人間の問題だと思います。

宗教も、元々は人が作り上げただけのものだと私は考えていますが、それは元々人々を救う為のものであったと信じたいのですが、今街中で時々「神は・・・」「キリストは・・・」など街宣車が大音響で走っているのを聞いていると、それを異様な解釈に変えているとしか思えませんでした。(渋谷とか新宿でよく走ってるやつです)

でもそんな怪しいものに賛同する人なんて居ないだろうと信じたかったのですが、実際は沢山の人がそういうカルト的なものにすがらないと生きていけないのですね。

 

友人には何かの信者である人も何人かいますが、彼女達は決して私に信仰を勧めてきません。

ずっとその信者であることすら知らされていませんでした。

勧誘をしない限り、それは私の中では「アリ」です。

彼らの事は大好きだし。宗教を持っているという事も含めて彼らだし。

 

占いも嫌いでした。

占い師ほど、うさんくさい人は居ないと思っていたのですが、そのうさんくさい人に大金を払って未来を見てもらおうとするロジックがどうしても理解できなかった。

 

でも今は、何かにすがりたい、ゆだねたい、という気持ちも理解できるような気がしてきました。

恋をした友達が、「an an」の占い特集の号を嬉しそうに買ってきたのを見て、「可愛いな」と思いました。

只、友達と「きゃーきゃー」騒ぐネタとして買ってきただけなのでしょう。

ものすごい権力者で、誰も真実を話してくれない孤独な社長とかが良く占いに来ると聞いたこともあります。

行き詰まった時の最後の砦として訪れたカウンセリングみたいなものなのかも。 

 

 

・・でもじゃあ、どうして私が生まれたのか。

この世はこうなっているのか。

 

何十億年前にタンパク質がたまたま変質したから?

それだけでは無い、何か意図を感じずには居られない。

世の中には信じられないくらい素敵な事がありすぎる。

 

そういえば、「マトリックス」の映画を始めてみたときに、私はびっくりしました。

私が「こうかもしれない」と時々空想していた世界だったから。

ネタをぱくられたのかと思いました!(←アフォ)

 

その世界は・・・私は只のミジンコみたいな生物の中のさらに小さなミトコンドリアみたいなもので、それが夢を見ているだけかも。そうだとしても不思議じゃない。・・・というものです。

(↑マトリックスとどこが同じやねん!!!(゚Д゚#) )

 

 

でも、かく言う私も、

 

信じられない位嬉しい事、美しい景色、人の愛情。

 

これらに出会った時に私はなんとなく漠然と何かの存在を感じる時があります。

ひょっとしてそれは・・・・!?

 

 

 

((((;゚Д゚)))カ・・・カミサマ? 

プロジェクトA

28歳に人生がひっくり変えるような思いがした時に、私を助けてくれたもの。

 

 

妹と姪と両親と弟と、友達。祖母。

 

 

こんなに沢山の人たちに助けられた。私はめっちゃ恵まれているのかもしれない。

きっと世の中には誰からも助けられなかった人が沢山居るだろう。

 

それまでの私の人生の中で、家族は「居てあたりまえ」「あたりまえに助けてくれる」

彼氏が出来てからは彼氏が一番の私の理解者で、唯一心を開けられる相手だと思っていたので家族から離れていた。

 

 

元夫と家庭内別居が始まった時に、家にはめったに帰ってこなくなり、帰ってきても私を避けるように自分の部屋にこもり、自分の物を自分の部屋に全部隠すようにしまいこんだ。

必要な要件は同じ家に居ながらも、携帯メールに送ってきていた。

 

「今は会社が大変な時だから仕方ない。これは病気のようなものだ。気にしないように、普段道理にふるまわらなくては」

 

と自分に言い聞かせていたが、毎日毎日息をするのも苦しくて、生きている心地がしなかった。

今思えば、私は東京に来てから、神戸からこっちに来ていた友達にも、仕事を手伝ってもらったりしているうちにトラブルで(私が悪かったのですが)絶縁状態になってしまい、後は仕事ばかりしていて新しくできた友達なんて一人もいなかった。

 

家族と友人は地元にいるのみだったのだ。

 

遠くに離れた家族や友人にはいつも幸せいっぱいの報告ばかりしていた。

心配をかけたくなかったから。

 

だからこんなに苦しくても誰にも話すこともできないでいた。

今考えると笑ってしまうくらい、元夫に拒絶されているだけで、自分の価値を全く見失っていた。

 

 

でもとうとう、夜中に外を彷徨い歩いている時に友人から電話がかかってきた。

「あれ?今、外?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

言葉にならなくて、とうとう電話越しにずっと泣いていた。

 

「今どこ!?外?とにかく明るい、人が居るところに入って!」

 

友人はびっくりしたと思う。ずっと幸せ一杯で忙しく暮らしている報告ばかりしていたから。

でも、もうしゃくりあげて言葉にならない状態だったけど、今どんなに苦しいか、悲しいか、伝えた。

友人は静かに聞いてくれた後に、

 

「なんで、今まで話さなかったの。辛い時に電話してこなかったの。」

 

と言った。

 

今でもあの時の自分を思い出すだけで、この文を書くだけで胸がつぶれそうになる。

冷静に考えたら、全然たいした事じゃないのかもしれない。

(只、夫の愛情を失っただけ)

 

でもその時の私には、もう生きている事ができない状態だった。

「死のう」と能動的に考える事なんてできない。

とにかく、もう、「息をする事も辛く」て、一秒、一秒が辛くて、生きていられない・・と感じていた。

重力があまりにも強く感じて、床の下に吸い込まれそうな感じがしていた。

私も軽度の鬱病になっていたのかもしれない。

 

 

そして妹にも電話で話した。「どこにも居場所が無い、ずっと眠れない。」というと、

「とにかく家においで。ママには言わなくていいから」

と言ってくれた。

妹は結婚して当時6ヶ月の娘がいた。

妹は実の姉だから良くても、その夫にしてみたら他人。仕事もしているのに、他人が居ついたらしんどいに違いない。

でも行くところが本当に無かったので、「これで置いて・・・・」と、一万円を妹に渡した。

 

妹は専業主婦だったので、平日の日中もずっと一緒に過ごしてくれた。

6ヶ月の姪と過ごす毎日は、やっぱりまだ悲しかったけれど、可愛さに幸せな気分を思い出させてくれた。

「私達にも子供が居たら、違っていただろうか」

とも思ったりもした。

ふと気が付くと、姪が泣きそうな顔をしている時があった。気が付くと、私が泣きそうな顔をしているのを見てまねをしているのだと気が付いた。

 

6ヶ月で、まだ言葉なんて全然話せない姪を、乳母車に乗せて買い物に行った時、妹を待っている間に姪が、ずっと何かを見て、声をあげて笑っていた。

何を見ているのかと見上げると、ただの宣伝の、「旗」だった。

その旗が風になびいてハタハタしているのを見るだけで、30分間くらい、姪はずっとゲラゲラ笑っていた。

本当に楽しそうに笑っていて、それを見ているだけで私も幸せになってきて、自分が沈みこんでいる状態がおかしく感じられた。

気が付いたら姪と一緒に私も笑っていた。

 

 

たまたま母から電話があった。

 

「そっちは今日は雨?」

「え・・・・いや・・・う、うん・・・・」

 

すぐ近くに居るとは居えずに母との電話を切ったけれど、思い直してかけなおした。

「今神戸にいる。」

 

 

実家に帰っても父も母も何も言わなかった。

只、夜寝る前に父親が、「いつまででもおってええねんぞ。ここはおまえの家なんやから。」

と言ってくれた。

口数少ない父親と、大人になってからはあまり会話もしていなかったのだけど、この言葉で私はやっと眠れるようになった。

その日はぐっすり眠った。

 

 

私には家族も友達もいる。

 

そう思うと、今度は東京に帰りたくなった。

帰ってから気が付いた。妹が手紙を荷物の中にいれていた。その中には私が渡していた1万円が入っていた。

 

「あの時はお金を渡さないと気がすまないと思ったから受け取ったけど、ともくん(妹の夫)と話したけど、家族で泊まるのにお金をもらうのはおかしいからかえします。また○○(姪)と遊びにいつでもきてね」

 

 

妹の家に居る時、姪は人見知りが激しいにもかかわらず、私の声が妹に似ているからか、すごくなついてくれた。

妹の夫も私がいても、平気で居眠りはするし、いつもどおりの変わらない生活をしていた。

姪をお風呂に入れたり、一緒に遊んでいる私が居る事を本当に喜んでいてくれている様子だった。

本当に暖かい家庭だった。

私はそれを見て反省していた。私は彼にこんなに暖かい家庭を作ってあげていなかった。

こんなに安らぐ家じゃなかった。いつも自分が寂しいとか、辛いとか、疲れたとか、自分の事ばかり主張していた。

そう気が付いた。

 

だから帰ろうと思えた。

もう一度やり直そうと思えた。

 

絶縁状態になっていた友人からも連絡をもらった。

私があやまらなくてはいけないのに彼女から連絡をくれた。

もう二度と私には会ってくれないと思っていたのに。



 

私は恵まれていた。

こんなに我侭に、自己主張ばかりして、いつも「私が、私は、」ばっかりで。

それなのに暖かい家族や友人に助けられた。

 

 

 

せめて、この人達が何か大変な思いをしている時に、私は何をおいても助ける事ができるような人になろうといつも思っている。

もっと余裕があれば、見ず知らずの困っている人達も、私がこうして助けられたように、助ける事ができたらいいなと思っている。

そしてその人がまたその思いを持って誰かを助けたら。そんな風に世の中に広まっていったら・・・・

 

こんな私でも世の中は少し変えられるかもしれない、と思って。

祖母

先月、祖母の傘寿のお祝いで神戸に帰った。

 

母方の祖父母は、小さな小さな会社を経営していて、母の兄弟はみんなこの会社で仕事をしているのでみんな仲が良く、しょっちゅう何かにかこつけてみんなで集まったり旅行に行ったりしていた。

 

8人いる従兄弟達の中で私は最年長。

初孫になるわけで、私の弟や妹が生まれる時にはその祖母のところで面倒を見てもらっていた事もあって、特に可愛がってもらっていたと聞いていた。

 

実際に私が離婚前に別居している時にも、神戸に帰る度に祖母が食事に連れていってくれたり(足も悪いのですが)、私が居ない時にも母に私の事を尋ねていたそうだ。

私も結婚して自営業を行っていたのもあって、自営業を行っている祖母からは心配する事も多かったのかと思う。

 

そんな祖母への孫達からのプレゼントを選ぼうとして考えた。

子供の頃から、この祖父母には随分沢山のプレゼントをもらってきた。

誕生日、クリスマス、入学、成人式、結婚、その他色々・・・。イベント毎にプレゼントをもらい、お陰で物に不自由をした事が無かった。

そんな祖母が趣味でやっていた俳句である時賞を取って地元の新聞に掲載されていた事があった。

 

 

「クリスマス 私も欲しい プレゼント」

 

 

 

私はそれを見て衝撃を受けた!

もらう事があたりまえになっていたけれど、祖父母に私達からプレゼントをした事が無かった!

もちろん私達兄弟だけではなく、他の従兄弟達にも同様に色々プレゼントしてくれていたのだと思う。

でも誰もそれがあたりまえになりすぎて、祖母にプレゼントをしていなかったのではないか・・?!?

 

それから私は結婚し、親族の中でただ一人東京に来た。

毎年クリスマスには何かプレゼントを贈るようになった。

 

・・・さてさて、いつものクリスマスと違って、傘寿のお祝いとなればちょっと趣向をこらさなくてはならない。

しかも従兄弟達の代表としては・・・何か良いアイディアを出して一目置かれたい!!

 

そしてギリギリまで悩んで悩んで、とうとう決まった!これだ!!

そのプレゼントは・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SMAPのDVDとDVDプレーヤー

 

 

なんと祖母はキムタクのファンで、台所にキムタクのポスターが飾っているのを見たことがあった。

ダンスも大好きで、足が悪くなる前は社交ダンスを習っていた。

 

私が色々ダンスが好きなのもこの祖母の血なのかもしれません。

 

そのアイディアを意気揚揚と、他の従兄弟達に伝えるとみんな大絶賛!!!

「絶対、おばあちゃん喜ぶね!!」

 

 

よっしゃーー!!これに決定!

 

 

 

 

という訳で決定。

ちょうど祖父母のところで大きな液晶テレビを買ったばかりだと聞いていたので、その新しいテレビで存分楽しめるかな。

私はその日の内に神戸を発ったので、取り付けは近くに住む叔父にお願いした。

従兄弟がその間に、機械音痴の祖母でも使えるような簡単なマニュアルを作ってくれたらしい。

(この年の人にしてはめずらしく運転免許も持っているのに、車のラジオの消し方もわからないらしい)

 

 

孫達も大きくなって、ひ孫も居る今になっても、こうして何かあればすぐに集まるのも、祖父母の人柄だと思う。

いくつになっても皆に愛されて可愛い「おばあちゃん」の祖母の様に私もなりたいな。

 

トレーニング!

トレーニング開始を心に決めたuca家では、こんな醜い争いが繰り広げられている・・・・・。

 

 

uca: 「今日はトレーニングは!?」

honey: 「うーん、今日は疲れたから休む」

uca (゚Д゚#): 「休む!?まだ初めて2日目でもう挫折!?あんたがそんなんだから、私まで頑張れないじゃん!!!!」

私、最悪ですね・・・。

という訳で、いきなり負けてしまいそうな気配ですが、それでもhoneyのおしりを叩きながら、なんとか続けました。

やっと、腕立てふせを始めたhoneyが、腕立てを10回ほどする度に・・・・、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中断して自分の腕の太さを確認しています!!

 

 

 

 

そして満足そうに続きを始めるのです・・・・。

 

 

なんか5歳の男の子の行動を見ているようで、おかしくてしょうがないのですが、笑うと気を悪くして折角始めたトレーニングを中断してしまうといけないので、知らん顔をしていましたが、内心大笑いでした。

 

 

そんな即効で腕が太くなるかーーーーー!!(心の叫び)

 

 

誰かに話したい!!

・・・という訳で書いちゃいました。

 

(またこっそりブログを見たhoneyに怒られそうですが)

 

 

 

体組織計

back

 

先日、友人宅で「体組織計」なるものを見つけて計ってみた。

 

これには、体重、体脂肪率、骨密度、血流などを検出し、そこから体の年齢を推測する機能がついていた。

 

さっそく・・・・・・!!!!

 

最近、運動らしい運動もせず、食事も一人で食べる時はかなり手抜きだったからなぁ・・・・・。

 

 

 

 

 

でました!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24歳!!━━━━ヽ(T∀T )ノ━━━━!!!!

 

 

 

 

 

 いやいや、嬉しくって体組織計を買っちゃおうかと思いましたよ。

(我が家は体重計も無いんです)

そしてそれで大はしゃぎしている私の横でhoneyがこっそりと計ろうとしていました。

 

 

 

どれどれ・・・・・。と、横目で盗み見ていると・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 18歳!!

なんだ、この機械がおかしいんじゃないの!?と、急に嬉しい気分も↓でしたが、でも他の人が計ると、それなりの年齢や、それ以上を示していました。

でも私達夫婦は本当に全然運動していません。

牛乳も飲んでいないしね。(骨細夫婦です)

ちょっと嬉しいような、腑に落ちないような気分でした。

体脂肪がキーなのかもしれません。

私達、二人ともやせっぽっちです。

honeyの実家で昔のアルバムを見せてもらってびっくりしました。

ものすごく健康優良児なのです。

しかも、久しぶりに会う幼馴染のお母さんに会ったりすると、

「○○(夫の名前)!?・・・・あなた、○○なの!?・・・すっかり痩せてしまって・・

とか言われていましたし、ウェディングドレスのサイズ直しをしてもらっている時も、「日本人は一体何を食べているの!?」といわれていました。

日本では「痩せている」「若い」というのはとかく「羨ましい」と言われがちですが、カナダではかなり心配されてしまいました。

 

はい・・・・。トレーニング開始しましたよ。まずは筋肉をつけなくては。

ちゃんと続くかな・・!?